新しい時代をリードする!起業家として成功する為の20の方法

情の必要性は賛否両論。情が必要かどうかについては入念な考察を

結論から言えば、必要であるし必要でない。この論題は矛盾していないより矛盾している方が真っ当だ。ややこしいからと言って必要か不必要かを前提から一つに絞るべきではない。感情というものは合理と反することが多い。感情のために意図するもせざるも合理を手放してしまうこともあれば、合理のために意図するもせざるも感情を手放してしまうこともある。どちらが正しいかなどと問うても愚問である。

片方を選ぶことを強いられることは必ずあるが、必要な時に必要な判断を柔軟に成せなければならない。もしくは、両方を手に取る背負い多き道を歩む覚悟を問われることも必ずあるだろう。相反するものの両方を選ぶことなく抱えて歩んでいくことは、可能であっても難しい。

片方だけを選び、片方だけに取りつき、もう片方を嫌悪して退けることの方が動物としては自然であり、感性故だ。しかし、人間にはそれを思い留める理性もある。その両方をなくして争いを避けることは出来ない。

原則的に、そのどちらかだけで生きていくことは出来ないが、どちらかのみに意識を傾けて生きていくことは出来てしまう。感性だけの意識で生きようと思えば、葛藤に迫られず楽に生きられるだろう。感性が高まればその感性を活かすに相応しい仕事もある。理性だけの意識で生きようと思っても同じこと。しかし、理想を求めるなら板挟みの葛藤は付き物だ。

いずれにしても、前提の段階では感情と合理の両方の必要性を手放してはならない。手放して良いのは、前提からの意識の努力を通した上で、実行の段階でどちらかを削らなければならない状況に至った時のみ。そうともなれば、苦汁の判断となるだろう。しかしそれだけの意識が求められる。

とは言え、どこかで区切りをつける必要はある。ましてや自分が興す事業の内容によりけりだ。もしも情が必要かどうかを誰よりも真剣に考えて切実に意識しているとすれば、その意識は必ず理想の実現に役立つが、行き過ぎれば実行に支障を来すこともある。ふんわりとした事業のためにあえて尖った理想を捨てることもまた理想の内になるし、私はそんな事業も応援する。

具体的に言うなれば「選ばなければ進めない局面で選べない」という状態に陥ってしまい葛藤から抜け出せず決断が間に合わなかった、ということは十分に有り得る話であるということ。

例えば、貴方が雇用している2000人の内500人を解雇する決断をしなければ、間違いなく貴方の会社が倒産に追い込まれるという状況にあるとする。もしも貴方が感情と合理の双方に意識を向けている場合、解雇する500人のことを憂い、他に手段がないかと考え、悩み、葛藤するだろう。そして同時に、倒産してしまえば500人の問題では済まなくなるということも理性で考える。時間は止まらない。考えている間に状況はより悪くなる。

そんな時、選択の決断を迫られる。もしも突破口を見出すことが出来ないまま倒産に至ってしまえば、500人どころか2000人を上回る人々が混迷することになる。言葉さえ出ないだろう。

理性に基づく判断が必要な局面では、心苦しくも解雇の選択肢を選ばなければならないこともある。

その上で、解雇した者達に出来る限りのことをするのが適切だろう。なにも、選択したからと言って出来ることの全てが無効になるわけではない。あくまでも解雇するかしないかの選択でしかなく、それ以上の選択ではない。反省して失敗と向き合う暇はあっても、落ち込んでいる暇はない。落ち込んでいる暇があるなら再就職に力を貸す情があるべき局面だ。

このように、感情と合理の二律背反は付きまとう。どれだけ苦しんでも前提から捨てるべきではない。